東京中央建物

その時代の仕事観(社長からのメッセージ)

私は昭和38年4月、16歳から働いています。

大きく分けて

① アルバイト期 (4年)

② 製造業期 (10年)

③ 営業奮戦期 (9年)

④ 中間管理職期 (12年)

⑤ 経営者期 (20年)

時代はどんなに変わっても経験は貴重なものです。

① 私は複雑な家庭でしたので 中学校では進学校の推薦もありましたが、あえて定時制高校に入学しました。

朝4時半起床(酪農の手伝い)、8時から仕事(採取の日給250円~)、17時から21時まで学校、夜21時から部活(柔道とバレーボール他)そのうえ友達との交流が楽しく、夢中だった4年間でした。

② 高校時代に勉強をする時間もなく、就職先も決まっていませんでした。

学校から勧められるままに一部上場の製造業に就職、川崎工場には40人の新入社員が入社しました。2年後には東洋一といわれる湘南工場に転勤、全国の工場から選抜された一人でした。しかし会社は古い体質で一部上場の会社はどんなに頑張っても 先が見えていました。このころはだれにも負けないくらいに仕事には自信がありましたが、やっぱり繊細さが要求される製造業は私には向いていません、何時も起業のことばかり頭をよぎり研究もしていました。

結婚して子供が産まれ 一大決意して「営業」の道に転職 30歳 でした。

③ さて「営業」という自分には天職というような仕事に出会い、努力が成績となりそれがまた自信になり グラフは何時も飛びぬけて一番でした。

あとは誠実に努力を重ねていると 他会社からのお誘いもあり、益々工夫と努力で良い条件のところで働けるようになりました。

④ 当然管理職として新しい会社でもたくさんの伝説をつくり、その会社が初めて支店を横浜に作ったときの初代支店長になり、会社は上場しました。そのあと埼玉大宮支店長、営業本部長と取締役として頑張りました。

会社が上場して「四季報」を見ると 私は大株主にで、時価4,5億円と夢のような数字でした、しかしそれは数字上で そのお金は自由にできませんでしたが・・・後で紙くずになり借金地獄も味わうことになるのですが!

良い話ばかりではありません

その後 独立して社長になって20年もなるのに 今でも夢でうなされるのは、中間管理職時代のころです。

クレーム処理ではクレーマーだけではなく反社会的な人たちは容赦なく攻めてきます。

部下のクレームやトップの我儘にどれだけの時間とお金を使った事か!考えてみるとその時の自分のとった行動が 今の自分を造ったような気がします。

そして中間管理職で一番大変だったのは成績です!

週間のノルマは幹部会では徹底的に追及され、月間のノルマそして期末の数字には厳しく期末は寝かしてもらえなかった記憶があります。

バブルが弾けワンマン経営は破綻して会社も自分も多くの負を背負い泡は夢と消えました。

⑤ まだ50歳 人生半分と意気込んで独立しました。

一番の支えはお取引会社が親身になって応援をしていただいたことです、今でもそのお付き合いは続いています。また以前の会社で働いていた優秀な人たちが共感して仲間になっていただいたことに心から感謝をしています。

今までの色んな経験を踏まえてみんなが自分の会社と思い働きやすい職場にできればといつも思っています。苦しい時期も一緒に苦労をしてここまで来られたのも社員のお陰です。

会社は経済情勢でどうにもならないことも経験しました。

毎日 安心して働いて暮らしていける幸せも大事だと思います。

そして会社は何時までも存続させて 共に生きていけたら良いと思います。

今 社長になって思うことは

会社は急成長すると 反動がある

皆の協力と努力と工夫で、毎年少しづつ成長していくことが一番だと思います。

幸せは自分の中にあると思います

今日 健康で安心して生きられることに感謝をして暮らしていきましょう。