東京中央建物

2015年9月21日の記事

「営業マン」私の原点

私は昭和51年に東京東急フレックスホーム(渋谷)に営業として仕事に就きました。永福町の大型展示場のモデルルームで接客をしていました。その場では殆ど次のアポイントはとれず、アンケートを見てお客様に電話をしてアポイントを取り、お客様の土地の情報と新築する場合の条件等を聞きだし、土地の現場調査と役所関係の法的規制などを調べて、家族構成や考え方を聞きだして、規格の厳しいプレハブの間取り図を作成し、積算しての交渉は時間がかかり、又51棟の各社モデルルームにアンケートを書いたお客様は各メーカーのベテラン営業マンとの戦いは想像以上です。

簡単にはアポイントはとれません、当然アポなしの夜訪は当たり前、しかし他社の営業マンも当然同じことをしているわけですから鉢合わせは日常茶飯事でした。

また同じモデルルームには先輩や同僚が居て、お客様の接客は順番の為、数も限りがあり、結局飛び込み営業もしなければ成績は上がりませんでした。

経験の浅い私は建物そのもの説明より、お客様と親戚や友人になることを重視して話題をたくさん持って仲間になり、心を開いて本音で話し合えるように、又質問には安易に応えず明日調べてきますと再アポイントを取って人間関係を作りました。そして他の営業マンに負けない様に自費で自家用車を使い機動力を発揮して夜討ち朝駆けを実行して入社半年で東急フレックスのプレハブを250人中5位になりました。

半年が過ぎて東急の軽量鉄骨プレハブ住宅は欠陥も多く、又建築費も抑えるので殆ど素人同様な人が施工するためにクレームの連続で夜も寝ていられない程でした。

そこで親会社のマンションデベロッパーのアーバンライフに配置転換、部長さんの「マンションではなくロマンを売りましょう」の一言で新築マンションの営業マンになりました。

私の最初に売った新築マンションは「市原砂土原アーバンライフ」です。

私が入社した時は完成して一戸も売れていませんでした。

結局広告費も使い果たしましたのでモデルルームもなく、今までの問合せ客を一件残らず訪問することにしました。

新築マンションは今までのプレハブ住宅の請負契約とは違い、観て触って相手に納得してもらえるので私にとっては楽な営業に思いました。

しかし毎日都内のお客様をアポなしで訪問するのは楽ではありませんでしたが、めげずにお話が出来た時は嬉しく目黒の新婚さんをご案内が出来、その頃はもう親しくなり冗談も言い合える仲で、寝室を案内した時に「ファイティングルーム」ですと言ったらすごく受けたのは良い思い出で新築マンション第一号の契約者でした。

2人目は大妻女学園で食堂やお店を営んでいるとっても忙しい会社の社長さんで、何時も商談は女学園の食堂です、初めて若い女性ばかりの学校はむせ返るような女性の匂いを感じました()

何度も足を運び喜んで契約をして頂いた時には親戚になったような雰囲気でした。

そのマンションも大京観光が一括買い上げで最後まで担当できなかったのは残念でした。

その後会社は仲介部を作り営業としてマンションの管理人さんに目を付けて、管理の仕事は上手くいって当たり前の管理人さんは相当のストレスを感じていました。私は毎日管理人さんのところに通い愚痴を聞いたり相談役になって仲良しになり、中古マンションの売りも買いもご紹介頂き毎年相当の仲介手数料を稼いでいました。

そして新築マンションの販売代理でも夜中も営業の看板などを掲げて成功をおさめマンションデベロッパーに・・・

結局営業とは自分をさらけ出し、人と人の出会いから共感や共有の中で相手を思いやる心だと思います。そして営業で一日誰とも商談できないのは工夫も努力もしていないと自覚をすることです。

お客様はすぐ近くにいます、きっとあなたを待っているはずです。

お互いの幸せの為に積極的に人生を謳歌しましょう。生きていることは営業だから!

昔と今では営業のスタイルも変わり、そのままの営業を押し付ける気はありません

しかし営業は多くの人とのかかわりからしか成果を生み出すことが出来ません

出会いなくして営業はなし、出会いは待っていては来ません

今日は12時から銀座は歩行者天国です。

目についたのがクロネコヤマトの宅急便の人達が手押し車を引いて荷物を持っている人に声をかけていました。大企業も攻めています、お客様の為に・・・

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